twitterで「研究費でペンを買おうとしたら、そのペンは本当に研究室で使われるのかわからないのでお金は出せないと言われた。この理論だと何も買えない」というツイートが流れて来ました。

なんというか、すげーロジカルな……思考停止のお役所仕事に購入を遮られましたよ、というお話ですが、このペンやらの雑品を購入する事は、本当にこれ以降やこれ以前も出来なかったんですかね。この申請をした人のひとつ上の役職の人、または同じ窓口でも別の人に言えば結果が違ったりしたんじゃないでしょうか。購入の申請を受けた人が滅茶苦茶無能だったとか、そういう説は無いんですかね。

 

昔、私が一年生の時、今でも私が所属しているサークルの部室の鍵は部室のドアの上の蝶番的な所に乗せてあるだけで、更にそんな部室の中にある部費の入ったロッカーの南京錠は、少し力を入れたら外れる事が私の友人の佐川どんが発見(今思えば、何で、どういう目的で佐川どんは部費の入ったロッカーの鍵をイジってのかはわからないが)したくらい、適当なクソザルセキュリティでした。

なので、当時一年の私は三年生か二年生だったかよく覚えていないが、当時の部長さんに「部費で新しい南京錠を買いましょう」「あと、部室の鍵を入れるヤツも買いましょう」と進言した所、何故か部長は自費で購入する流れのトークを展開し始め、「いやいや、これはどう考えても部費で買っていいのでは」と尋ねると「部費は部員全員のものだから、少なくとも幹部全員に聞かないと使えない」と答えられ、「それでは、幹部のLINEグループとか、スカイプトークとかあるんですか」と聞くと「無いし、全員の連絡先は知らない」と言われ「じゃあ部費は毎年どうやって誰が誰に許可とって使っとるねん」と私がキレながらLINEグループを作るハメになった次第で、その後腹いせのように私は部費を濫用した過去があります。

関係ないけど、昔部室にあふれていた卒業生の残していったトレーディングカードやらも、「邪魔にしかなっていないし、誰も使っていないので捨てるか売るかしましょう」と私と佐川が言うと「売ったら部費に還元しろ」という、何故か片付けのために動けば動く人の方が損をするクソシステムを提案され「共産主義はまだ続いてたんや……」と赤い星の見える部室の窓から私はポツリと呟き、外ではかつての十月戦争よりソビエト連邦の国家となった“インターナショナル”が兵隊の足音と共に流れて来ていました。数日後、私と佐川は『革命』を胸に、毎週木曜あたりをカードを売りに行く日とし売った金で松屋のカレー牛丼を食べる『カレギュウの日』を設ける事により、労働に対する正当な利を獲得出来る資本主義を体現し(Revolution)、初めて牛丼を食べれたその日は部室の窓の外からは夏の風と共にHOT LIMIT(T.M.Revolution)が流れて来たのでした。

 

「もしかしたらこれはこうかもしれないので出来ない」という保守的対応は、確かに問題を起こさないためにはベターな選択の一つかもしれない。しかし、そうやって溜まっていった澱や歪みは、「もしかしたら、いつか取りに来るかもしれないので捨てられない」という保守的思考のもと部室に溜まってゆくゴミやカードが象徴するようにいつか飽和量に達し、結局動く人間が対応に追われる事になる。

私達はどちらの立場からも自分を見直す反省点を見つける事が出来ると思う。どちらが良いとか悪いとかはその時々の状況によって違うだろうし、後になって良し悪しの分水嶺が突然出現し結果が変わることもあるだろう。少なくとも、どちらの立場でもよく思考を巡らす事が重要で、その思考を巡らす事、おもいやりが自戒を込めていうと一番難しい事なのかもしれない。

 

なんだか、最後だけ良い文章(問い掛け文にしたら良い文章っぽくなるよね)かのようにまとめたけど、本文を読み返すと『マジの無能の先輩と部費を濫用して牛丼を食う後輩のいるサークルの話』という地獄新聞になっている気もする。最低だ。俺って(碇シンジ)。

 

 

もう長いこと学生生活を送ってて色んな人を見てるけど、結局動いてた先輩や同期は良い会社行ってて、動いてなかった保守なのかサボりなのかわからない何もしてなかった先輩は無職かフリーターが本当に多いのは何かしら相関関係あるかもしれん。

 

くだんのペンも、途方も無いバカが購入を遮ってるだけで、購入していいに決まってると思います。

 

チャオ〜。