弾き語りしてますね、よく、広島市内のPARCO横あたりのイエスタデイとかあるあたりのトコで。

 

弾き語りって何なんでしょうか。

自分の曲の広報活動、ストレス発散、同じ趣味の仲間探し……、色々考えられますね。

ちなみに弾き語りの中でも私が最も疑問に思う存在は、人の曲を演ってる弾き語りの人です。

売れる為の自分の曲、又は自分の誰かに伝えなきゃおさまらない激情を言葉にした自作の曲、ならわかるのですが、何をどう考えて確実に本人より下手な演奏と歌唱力で人前で他人の曲を弾き語りしてるのか意味がわからん。仮に私がブックオフで自分で模写した自作の進撃の巨人第10巻を配りまわってたら間違いなく狂人扱いか警察沙汰です。いや自作の模写した漫画本配ってるオッさんいたら面白いけど、それ狂人由来の面白さだし。

人の曲を弾き語りする理由、おそらくは、「今この曲の気持ちです」か「この曲良くないですか」の二択の感情でそれをやっているのだと思うのだけれど、ダンボールに「今こういう気持ちです」って書いたものを首から下げて質の良いスピーカーで本人の当然プロが調整しマスタリングされた曲を流した方が効果としては高くないですか?

 

こんな事書いたら誰かからワンパン

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喰らいそうですが、人前で歌うという中々に高いハードルを超えているのに、なんで自分の言葉で気持ちを伝えないかワケがわからないんですね。いちご100%の7巻付近で真中が東城に自分の言葉で気持ちを伝えない時くらいワケわからん。しかし、ワケがわからないと言いましたが、一度だけですが、私は以前完璧に納得出来る他人の曲の弾き語りを見た事があるのです。

 

週末の流川で、ベロベロに酔っ払って、店の前で騒いだり、電柱に向かって吐いてるオッさんしかいない「エノラ・ゲイ、もっかい呼ぼかな?」と言いたくなってしまうような地獄に私はいました。そこへ、ギターを抱えた青年が現れケースを地面に置きました。青年が歌った曲は長渕剛の乾杯、しかも二回。とんぼも歌えよ、と思ったが、とにかく乾杯を歌う青年。すると、酒の力で財布の紐が緩みに緩みきった長渕剛直撃世代のオッさんたちがポイポイと紙のお金をケースに入れて行きます。「これか」と、私は思いました。金。数万円の金がたった二曲のライブで積み重なって行く。バンドマン(生活に占める割合の中で一番大きいものを言うならバンドマンではなくフリーターと呼ぶべき存在)、身内しか来ないハコよりココの方が稼げるぞ、と思わず脳内でつぶやきました。

 

と、言うわけで、私も流川で稼ぐべくアコギを始めました。お金目的という不純な動機のアコギな商売にはなりますが(\ドッ/)

 

そして、実際に自分で楽器を演奏してみて気付いたことは、たとえ人の曲のカバーであっても、素人の下手な演奏であっても、必ず演奏にはその人自身の個性が出てくるものなのだな、と思い、そもそも、真剣に何かを行う時に無意味な事があるのだろうか、真剣に物事に挑む時にそこに意味が宿るのだな、と学習しました。楽器はそのような人生の、大袈裟に言えば真理のようなものを理解するきっかけを与えてくれるツールのようなもので、それが尊ばれたからこの時代まで人と密接に関わり続けている文化足りえるのだな、とも思いました。そして、そのような文化の事を芸術と呼ぶのだな、と。

 

 

ごめんなさい。「そして、実際に〜」からの文章、全く心を込めずにとりあえずソレっぽくなればいいや、と思い適当に書いていました。今読み返したらあまりにフワフワした文章で見てられなかったので白状します。人の曲で演ってる弾き語りを擁護するのは心底ダルかった。人の曲で演ってる弾き語りはクソ。聴いてらんないし耳に入ってくるの不可避なの普通に街中のテロ。街中でやるな。宇品とかでやれ。

 

私がアコギを始めた話も真っ赤な嘘です。おやすみなさい。さようなら。